『陰徳』の力

『陰徳を積む』を読んで強烈な印象を受けたのは、安田善次郎の生き方、考え方、そしてほとんど知らなかった彼の偉業に今更ながら衝撃を受けました。

明治、大正という激動の時代に自らの信念を貫き通し、世間の評価に動じることなく、なんと80歳を過ぎても現役バリバリの資産家としての務めを果たそうとする姿は、現代においても極めて稀な逸材ではないでしょうか。

『陰徳』に関しては、私は数年前に徳を積むということを教えて頂く機会がありました。しかし、徳には陰徳と陽徳というものがあるというのはこの本で初めて知りました。

なぜ安田善次郎は陰徳を重んじたのか。陽徳ではだめなのか。読み進めるうちに、陰徳だけではなく陽徳もバランス良く積めばいいのではないか。そんな風に考え始めました。

なぜなら、確かに陰徳にこだわり続けるからこそ安田善次郎は一代でこれだけの偉業を成すことができたのも事実ですが、もう一つの事実として、世間からだいぶ誤解され批判され最後は暗殺されてしまうという、非情な一面も招いてしまっていることが本書に書いてあるからです。

これだけでも、自分は一度きりの人生をどう生きるのか。深く考えさせられるのではないでしょうか。

あなたは陰徳派ですか?それとも陽徳派ですか?

この本では安田善次郎の人柄が細かに書かれています。

その中でも心に残ったのは、

「反対する時には徹底的に反対するのだが、納得すると誰よりも素直に受け入れる。それが安田善次郎だった。」の部分です。

このようになるには、確固たる信念、自分のブレない軸がなければこうはできないと思いました。

なぜなら、私自身が自分のことがよくわからないために特に難しい話になると反対なのか賛成なのかもわからなくなってしまうからです。

自分の考えや判断に絶対的な信頼と自信がないから、自ずと自分の意見の主張も、他人の意見に対する姿勢もなんとも曖昧になると痛感します。それではただ流されて無難な人生を自分で選んでいるようならものです。それはある意味で責任逃れと言っても過言ではありません。

日頃から学び、考え、己を知ることでまずは自分の意見を持ち信念をはっきりさせることが、相手と対等に意見を交わし良好な関係を築いていく基盤になると学びました。

次に、印象に残ったのは、

「すると彼は迷わず席を立ち、階下に下りて面会をしたという。階段を上らせるのはかわいそうだと考えたのだ。」

「問題は成功した後にある。成功しても自分を律し続け、謙虚さを失わないでいることのできる人間は悲しいほど少ない。それのできる者だけが、社会に認められる真の成功者となれるのだ」

の部分で、ここからも彼の人してのあり方がよくわかります。どれだけ成り上がっても謙虚さを持ち続けることがどれほど難しいことかは想像することしかできませんが、彼はどんな状況でもブレないのです。

例え両親から厳しく教えられていたとしても、親元を離れればほとんどの人が羽目を外したくなるのではないでしょうか。そうはならない彼は並々ならぬ努力で己を律する力を習得したのだと思います。

なぜなら、「一生懸命働き、女遊びをしない。遊び、怠け、他人に縋るときは天罰を与えてもらいたい」3つの誓いの中のこの言葉がそれを物語り、「善次郎の手控日記に〈宴会にて非常な一美人を見たり〉という記述もあることから、彼の眼にも美人はやはり美人に見えていたはずだが、彼の克己心は半端ではない。」というように、男盛りでありながら浮いた話が全くないからです。

彼は遊びはしないが多趣味という、そのエピソードからも陰徳が基になっていると思われることがあります。

「偕楽会や和敬会のような大物財界人との交流の場だけでなく、出世したしないにかかわらず人とのつながりを大切にする人だった。」

「損得ずくの付き合いなど長続きしないものだ。それに彼自身人間的魅力に恵まれていないと、こういう人脈は築けない。友人を見れば、その人の格も自ずとわかるものである。」

このように分け隔てなく、多くの人と付き合う懐の深さや彼の人間的魅力は、「すると彼は迷わず席を立ち、階下に下りて面会をしたという。階段を上らせるのはかわいそうだと考えたのだ。」というエピソードと併せておおもとの考えや信念が『陰徳を積む』ということだからではないかと考えました。

なぜなら、

「善次郎は信義を重んじて利を捨てた。だが同時に、老婆に安請け合いをした自分を悔やんでいた。」

数えきれない程の偉業を成し遂げる間にこのような状況があったのはとても意外でしたが、彼も迷ったり、後悔、葛藤しているからです。その一瞬より更に短い時間で、彼はその強靭な信念のもと選択し行動していたのです。

「銀行を救済するのは関係重役や株主を救うためではない。その裏に何千何十万の預金者があり、且つまたそれには多人数の家族があるので、それを救うのである。」と語る部分がありますが、この言葉通りたった一人の老婆に心を動かされ手を差し伸べられることが“正しいかどうか”ではなく“彼の中に通る強靭な筋”なのです。

ところが世間はそんな彼のことを梅雨知らず、知ろうともせず、言いたい放題で時に彼を傷つけます。

〈世間はかくまでに邪推深き執拗ものか〉こんな風に感じたとしても、こんな思いをしてまで、なぜ彼は損な役回りを引き受けることができたのか。普通であれば到底考えられないような不本意の批判にあったら心が折れるものです。

どんな状況でも自分の道を信じ変わらず淡々と実行する。その信念や覚悟はどこからきているのでしょう。それこそが、彼の教養や考察力、経験値、視座の高さから培わられた努力の賜物ではないかと考えます。

なぜなら

「ノブレスオブリージュを自覚し、小さな慈善事業ではなく大きな公益事業こそ資産家の役割」と語る善次郎は覚悟が決まっていて、いざ戦争となった時も自分も一緒に戦っているつもりでいると書いてあるからです。規模が違うのです。

どんなに“邪推深き執拗ものか”といった世間で嫌な思いをしても、彼にとっては自分の頑張りで世の中全体に大きく貢献出来る方が断然上なのです。

このことを通じて、学び考え視野を広めることの影響力を思い知りました。

最後に、彼の生き方について印象に残ったのが、80歳を過ぎて増田氏と大磯の別荘で囲碁を楽しむところです。

当時の男性の寿命はもっと短い気がしたので調べたところによると、「明治時代・大正時代は、男性の平均寿命は43才前後でほとんど変動がないことがわかります。 戦後直後の1947年で50才、1951年に60才、1971 年に70才、2013年に80才です。 」とありました。

これだけの偉業を成し遂げ、80歳を過ぎても現役バリバリというのは非常に想像しがたいことですが、文中から安田善次郎は年老いてからも万歩計を使用していたりダンベルで筋トレをしていたり、そもそも粗食であったりと健康的な要因は沢山あります。

ただし、ここまでの事業での相当のストレスを考えると超人的としか言いようがありません。

私はその超人的エネルギーの秘密は、彼の精神にあると考えました。

その理由は一つ目に、彼は身内に人間は100歳をも超えられる可能性を持っていると説いているからです。

二つ目に、大磯の別荘で増田氏と楽しむ姿がまるで小僧の頃に戻ったかのように楽しげであったと書かれているからです。

三つ目に安田善次郎の決してぶれない信念と自信は本書を読めば明らかですが、例え誰に誹謗されようとも彼は弱者にとり本当に意義のあることをしているという信念があるためです。

世間の非常な批判に臆することもなければ自分を責めることもせず、ただ真っ直ぐに前を見て、その信念のもと節制を守り体を気遣い、心健やかに、そして闘う時は闘う。

これぞ正にプロフェッショナルではないかととても感銘を受けるとともに、自分を律し考えた先の揺るぎない信念があれば、人はどこまでも若くエネルギッシュに行動できるのだと勇気づけられました。

〈50,60鼻垂れ小僧、男盛りは80,90〉

ほとんどの人が寿命の頃を鼻垂れ小僧という彼の言葉は非常に重みがあり、非常に励まされます。

元気に動けなければ、長生きしても楽しくないですから。

彼は自らの行動をもって80歳を過ぎてもピンピンした姿を証明していることが本書でわかります。

最後に、

「問題は成功した後にある。成功しても自分を律し続け、謙虚さを失わないでいることのできる人間は悲しいほど少ない。それのできる者だけが、社会に認められる真の成功者となれるのだ」と言われる彼は『陰徳を積む』を徹底したばかりに、世間から誤解を受けたまま暗殺という運命を受け入れることになりましたが、もし彼が陽徳もバランス良く大事にしていたら、生きている間にもっと評価され幸せな最期を迎えられたかもしれないという思いが拭い切れません。

しかしながら時代を超えて彼の評価が上がり続ける理由も『陰徳』なくして語ることのできない人生を生ききったからこそではないかと感じます。

結論として、私は陰徳賛成派であると答えが出ました。

なぜなら、信念を持って世の中を良くすると決意したのならばやることは、シンプルにそこに向かって行動するだけだからです。 

自分の行動や考えがどう世の為人の為になっているのか。そこからブレてはいないか。広い視点で、高い視座で考え続けること。それは世間の評価では決して測れない価値やエネルギーが確かに存在していると本書を通じて教えていただいた気がします。