読解力が人間を救うワケ

AI VS 教科書が読めない子供達

この本を読んで、読解力について、今まで意識もしなかったことについて考えさせられました。

特に、読解力を“未来を切り拓くための手段”として使いこなすという意識を忘れないこと。このように私は考えました。

それから、読解力がなければまず仕事がなくなる可能性がある弊害について考えました。

その結果、私達人間は読解力を“未来を切り拓くための手段”として使いこなす意識を忘れてはならないという結論に至ったのです。

読解力がないことで起こる弊害についてですが、読解力、思考力、想像力がないと、本人の不孝な境遇から抜け出せず犯罪に走る場合があるということ。

不孝な境遇というのは、例えるとまず学歴にどう頑張っても顕著に反映されてしまうということです。これは本書にも書かれています。

読解力がなければ、どんなに本人が頑張っていても、努力の方向性を間違えて結果に繋がらない。それほど不孝なことはないと思います。

また、読解力がないと文脈や本当の意図が理解できなかったり、間違って理解認識してしまうリスクが書かれていましたが、ということは日常会話においてもコミュニケーションに支障があり得るということ。そこから『ケーキの切れない非行少年たち』を思い出しました。

その本にも書かれていますが、学校での勉強ができないことからのいじめや、生徒同士、先生や周りの大人とのコミュニケーションが円滑にできないことからくる弊害、そういったことが積み重なり非行に走ったり、最悪な状況は犯罪に手を染めてしまう青少年が実際にいるということ。

程度の差はあれ、苦しいのは読解力がない本人達なのです。

私が危惧したことは、

そう捉え違いをしたまま正しいと信じて疑わない他の視点が持てない人間と、

読解力、思考力、想像力を駆使してあらゆる角度から問題解決をして成長していく人間

この間に生まれる格差による社会問題です。

非行に走る少年たちにとどまらず、読解力がない大人でさえも仕事をAIに奪われ、自暴自棄になったり、他人へ責任転嫁したり、その果てが人に危害を加える行為に及ぶ可能性があります。

もし読解力がない人間の割合が増えたら、

コロナウイルスが猛威をふるうこれからの社会は、犯罪が増えるのではないか。

全うな人間がいかに犯罪撲滅運動をしたところで、ケーキの切れない非行少年たちの内容からも、やはり著者のいう幼少期から培う読解力という問題から解決していくしか根本的な解決はできないのではと感じました。

または、自殺を選ぶにしても、自殺者が増える可能性は否定できないのではないでしょうか。

現にこれは既に大きな社会問題であり、厚生省のデータによると、自殺者数は平成10年の頃、バブル崩壊後に3万人を超えしばらくそれが続けていて、その後景気回復や相談体制、地域の取り組み等で緩やかに減少しています。

ですが、コロナウイルスによる絶望的な経済大打撃を考えると自殺者が増えることは容易に想像できます。

死を選ばずに生き残る方法を模索しなければならない時、やはり読解力は必要不可欠ではないでしょうか。

なぜなら、死を選ばずとも自治体や国の施策に目を向け手当たり次第に情報を得ることができれば、救済されるための方法があるのだから。

そういうと、自殺者の気持ちになったらそれどころじゃないだろうという人もいるかもしれません。それは、確かにそうとも言えると思います。

私が以前、自殺を考えた時、周りの話など全く耳に入って来ませんでした。追い込まれると余計に周りが見えなくなることも少しは理解しているつもりです。

ですが、私に読解力があるとは言いませんが、その時私が救われた唯一のきっかけが、他者からの言葉だったのです。

何気ない言葉の意図を、読解力を使いどう解釈し、どう受け止め、考え、想像しどう未来に繋げるか。自殺を止めるには、それしかないのではと今の私は考えています。

読解力でいえば、私は読解力がないばかりに苦しんでいる方の人間です。

今ちょうど子供がみている仮面ライダーシリーズのゼロワンでAIとシンギュラリティがテーマであるのに、よく考えてみたら、

与えられるストーリー、情報そのままを何の疑問も持たず、そういうものなのかーと、イメージそのまま刷り込まれていました。

AIとは?シンギュラリティとは?

AIと人間の未来とは?と深く考えることもなかったのです。著者が指摘するAIとシンギュラリティの本当の意味を捉え違えていたことに、この本を読んで初めて気付かされました。

気づいた瞬間、情報を鵜呑みにしてはいけない。

読解力をつけて、調べたりしっかり考える癖をつけなければと改めて考えさせられました。

なぜなら、情報は人為的なものであり、操作できるからです。この本にもありましたが、ロボットに教育する際、そのデータが間違えていたら大変なことになるのです。

ということは、ロボットも、人間にプログラミングされていたら、完全ではないということで、

人間は、人間に与えられた情報で作られたAIと共存していくには、常にそこも頭に入れておかなければなりません。

ということは、AIとうまく共存していくためにも、私達人間はどう転がっても

読解力、思考力、想像力といった人間にしかできない能力を高めて、AIを正しくコントロールする立場にいなければならないのです。

機械は読解力がないのが幸い、未来を想像できない。ということは、未来は人間の能力次第ということではないでしょうか。それを著者は読解力という能力と指摘しています。

私も混同していましたが、AIと人間とでは、そもそも、土俵が違ったのです。

ただ、AIに代用できる仕事が増えることで、今の仕事を失うかもしれないけれど、だとしても私達人間は、ただAIにできなくて私達ができることで、より豊かな未来を想像すればいいのです。

そのために、仕事を奪われる前に必死になって読解力を高め人間にしかない能力を磨き、生きる術を模索する必要がある。

一つだけ希望があるとしたら、

現在勉強しているマーケティング理論によれば、この世界には人の数だけ問題があり、それを解決することがわかれば、その問題を解決することでお金を頂くことができるということなので、その術を身につければ、どんな立場でも生き残ることができるということです。

そこを身につけるためにも、人の悩みを知る、円滑なコミュニケーションを取る上でやはり読解力は必要不可欠なのです。

そう考えたら自ずと、機械にとって変わられるのではなく、読解力をつけ、読解力を“未来を切り拓くための手段”として、今自分が何をしたらいいかを考える必要がある。という著者のいう通りの結論に至りました。