ケーキの切れない非行少年達の心の叫び

ケーキの切れない非行少年達を読んで

少年院に入る非行少年達の中には、実は認知機能になにかしらの障害があるということに気付いてもらえなかったことが原因で非行を繰り返すしかなかった少年達が多くいるということが衝撃でした。

子供は私達大人が作った社会で、そのルールのなかでしか生きることができないシステムになっているため、この問題における子供達は現代社会が生み出した被害者であり、それは完全に周りの大人や社会の仕組みに落ち度があるということです。

なぜなら本書にも書かれている通り、初期段階では大体小学2年生頃から勉強についていけない、周りの子たちと同じように行動できないといったなにかしらの問題が出始めていて、その段階で原因を調べることができしっかりとサポートしていれば少なくとも犯罪には手を染めずに済む可能性が高いからです。

社会全体でしっかりと認識し、そのような子供達の芽を積んではいけないと涙が出そうになりました。

彼らがどうしたらいいか自分でも分からずに、周りからは非難され続け、認めてもらえず、非行の後はひたすら反省させられ時には必要もない薬漬けにされてしまうケースもあるというのは想像を絶する苦しみや絶望があると思いますし、もはや拷問であり、虐待ではないでしょうか。

その後の人生もめちゃくちゃです。

大人達がめちゃくちゃにしてしまった彼らの人生を、誰が責任を取れるのでしょうか。

そんな悲惨な現状があり、被害者でありながらも自殺せず生きているだけでも健気ですし、素晴らしいことだと思います。命を絶ってしまったら、救おうにも救えないですが、著者のコグトレを受けたくても受けられないわけで、まずは被害者である彼らをその現状から回復させ人として自尊心を感じて生きられる社会を作らなければならないと感じました。

そしてこれ以上、同じような子供達を増やしてはいけない。それは犯罪者を減らすという意味でもありますがそれ以前に、現在社会や大人達の被害者になる子供を増やしてはならないということです。

そのために私にできることは、学び、考え、発信することだと考えました。

その理由は3つあります。

1つ目は、学校で気づいてもらえなくても、家できちんとコミュニケーションがとれていれば、子供の様子や学習状況も把握していく中で些細な変化に気づくことができるからです。

学校や社会の仕組みというのは一つ変えるのに時間がかかりすぎます。

ですから、学校や社会になんとなく任せっきりという責任放棄の考えを今すぐ捨てて、大人1人1人が、1人の人間としてそのような意識を持つところからスタートする必要があります。

2つ目は、認知がきちんとできないことの弊害は、非行少年だけではなく、私達大人でも大なり小なりあるのではと著者も本書で書かれていますし、私自身も社会生活を送る上で自分自身や人とのやり取りでそう感じることがあるからです。

例えば、イライラしやすいとか、人とのコミュニケーションが難しく感じるとかそういった類いのことの原因の一つに認知の問題があるということです。

文中に、「適切な自己評価は他者との適切な関係性の中でのみ育つからです。」とありますが、これはまさに私のことかなとドキっとしました。非行少年の話ですが、私にも当てはまることがあります。大人でも本当に適切な自己評価ができる人は意外と少ないのではないでしょうか。

程度の問題こそありますが、本にも書かれているように、私達大人であっても社会生活でストレスを感じることなどの根本は同じなのだと理解しました。

3つ目は、本の中にも、少年院ではなく病院にくる子供達は親が早い段階で手を打てるというか病院に連れてくるということはそういうことだと書かれていますが、大人が早期にしっかりと手を打てば犯罪に手を染め更なる被害者を生むという最悪の状況は避けられるからです。

犯罪を犯すまで放置されてしまった子供達が可哀想になりました。と同時に、私の子供達にはちゃんと気づくことができるのか。そういった視点も忘れずに過ごしたいと思いました。

また、周りの雰囲気で、わからないとも言えないでわかった風に装って事態が悪化してしまうのいうのもとても可哀想だと思いました。

オンライン化が進む現代なら、もしかしたら周りを気にせずにその子のペースで学びができるかもしれません。が、親の私達が変わらなければなかなか難しいのかなと感じます。

本書でも、

「WAISを全員に行う時間がなかなかないため」

『「知的な問題がない」とされたら、何か問題を起こした時、健常少年と同じ厳しい処遇をされてしまいます。』

「週にわずか1時間、道徳の時間があるだけです。では、道徳の時間で社会面の支援をしているか?」

という具合に、大人達が作り上げてきた仕組みの問題点が上がっています。

専門家が全力でやっている現状でも、本質にアプローチできていないのだとわかり愕然としました。

宮口先生のような活動をしている方がもっと社会全体に認識され、一刻も早く仕組みを変える取り組みが進むといいのですが、私も社会活動をしていく上で、例え本業とは直接的に関係ないことでも、無知を知ること、学び続けること、そしてそこから考えること、プラスそれを発信していくことが大事なのだと気づきました。

そうやって1人でも変わらなければ、社会は変わりません。

また、障害のある子供達を改善するには、「対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身につけさせること」と書かれていますが、やはりこれも1人の力では到底難しいことです。

ですが著者のワークは一般家庭でも取り入れられるようなので、1人の母として実践しTwitter等で発信するのも手かなと思いました。

どのように発信すれば子育て世代に刺さるかを考えると、実際に私の子供にやってみてどうか、など分析して発信してみるのも面白いかもしれません。うまくいって拡散すれば、それだけ多くの無関係だと思っていた大人に届くことになります。

実は“学ぶことに飢えている”子供達にとっても、大人が全力でバックアップしてくれるようになることは最大の安心感を生むのではないでしょうか。

最後に、「子どもの心の扉を開くには、子ども自身がハッとする気づきの体験が最も大切です」

の部分で私自身がハッとしました。

子育て、教えるとなると一方通行になりがちですが、そうではなく、視点を変えることが大事なのだと気づきました。

それは大人だからこそできることでもあり、大人だからこそ頭が硬くなっていて難しいことなのだと、大人でも子供でも、頭を柔らかくする訓練がとても大事なのだと本書を読んで感じました。

余談ですが、戦時中、戦後の祖母の話をふと思い出しました。

当時は学校どころではなく、文字を書いたり読めたりすればいい方という時代だったことを思うと、認知がどうのなんて知りもしない時代から、70年近くで教育の分野がものすごく成長したのだと驚くと同時に、まだまだ問題や課題が多いのだと知ることができました。

著者は、子供達を救うためには関わる時間が多い学校教育が鍵としていますが、私は全ての親に必修で基礎的なことをレクチャーしコグトレのようなものを全家庭でできるシステムを使り、学校と親と行政とがもう一歩深く繋がる仕組みがあった方が良いのではと考えました。

形だけの全国学力テストの結果ばかりにとらわれず、もっと大切なものを拾って底上げしていくことが今の日本にはとても大切な気がします。

全員が、認知機能やコミュニケーション能力についての認識が少しでも変われば、自分の可能性に気づく子供が増えることは本書にも書かれていますし、可能性に気づくことでより学習への意欲もわくケースもあるということであれば、受験戦争のような勉強法よりよほど生産的なのではないでしょうか。

むしろ義務教育や一般教養として必修にすれば、この社会は誰もがもっと生きやすくなるのではと思います。

まずは1人でも誰かの目に留まり、小さな変化を生み出せることを祈りつつこの感想文をブログにアップします。